追い詰められて介護士になったけど今は天職な私が、未経験者に語るよ
未経験から訪問入浴介護体験談 ※グロ話アリ 閲覧注意
訪問介護の実地研修で、独居男性の入浴介助に同行しました。
衝撃的!介護対象者とはじめて接した時の感想
私自身は当時研修生だったので、予備知識はほぼない状態からだったのでドキドキしながら接しました。
指導してくれるヘルパーさん(50代位)が呼んでも叩いても、反応なし。
デロりん・・だらーっとした男性・・・
この方を一般家庭浴槽で入浴させる?
それだけでも衝撃でした。
この大きな男性を引きずるように、浴室へ連行しました。
※閲覧注意です。
その指導ヘルパーさん、男性の名前を呼びながら「ほら、お風呂だよ!目開けて!」と大声で声をかけながら肩や背中、頬をベシベシ叩きます
そしてなんと、身体を洗った後、男性の陰部を掴み包皮を剥き、洗浄しました…素手で…
その間、あっけにとられ棒立ちの私は思いました。
「私には、無理!」
目次
しかし、慣れって凄い!入浴介助は慣れるのです。
経験を増すごとに、平気になっていき、それどころか、同性でも異性でも陰部観察が平気になりました。
それは、介護士として必要なことだと理解したからです。
段々と入浴介助にも慣れてきました。
そういえば、医療も陰部を見たりするよな…、介護士の仕事が異常ではないと思えるようになってきました。
お医者さん(歯科も含む)を例にしても、看護師さんを例にしても、他人の陰部どころか、様々な人間の身体部分を扱っています。
介護士も同様です。
陰部を見なければならないという事が仕事なら、それはそれで仕方ない、そう思えるようになりました。
絶望の中、出会った天職。それが介護士のお仕事
私は最初から、介護を志望していたわけではありません。
夫が働けなくなりました。私には当時、中学生を筆頭に四人の子供がおり、学歴ない資格ない経験ない私は当初、水商売に行こうと決めていました。
「職業に貴賤はない」という考えだったので、犯罪にさえ手を染めなければよし!と何の抵抗もありませんでした。
しかし、夫が泣くのです。
「そんな仕事をするなら、俺は死ぬ」と。
学歴もなく、経験も資格もない…しかし、家族を養わなければいけない…そんな時にハローワークの職員さんから勧められたのが 「ホームヘルパー2級講座(介護職員初任者研修)」
33歳にして、久しぶりの「仲間たち」と「学ぶ」経験は楽しかったのひとことです。
介護職員初任者研修資格を取った後
資格を取得後、さっそく求職です。介護求人をチェックして回りました。
講義では、良い介護講師に出会えましたし、介護の何たるかを学び、理解しましたが、この記事の冒頭で書いた実地研修は私には衝撃過ぎました。
介護求人をひたすら探し、施設でも訪問介護でも何でもいいと思って面接に行きました。
追い詰められて介護士の仕事に就いたというのが本当のところ
私は「お金を得なくてはならない」、そして「私には介護職しか道はない」「しようがない」
追い詰められ、身売りするかのような気持ちでした。
「何かもっと他に仕事なかったのか…」
介護職へのひと欠片の興味より、これしかないという諦めにも似た気持ちの中、訪問介護ヘルパーとして採用されました。
訪問介護のパート 手取りで10数万円
「やるしかない」と腹を括り、何でもやります、やらせて下さいと、内容問わず、困難事例にも携わり、ひたすら働いた数ヶ月後、収入はパート採用にも関わらず、手取りで10数万円になりました。
未経験で就職する時思ってた、しようがない!からの心境変化
お金を得るため脇目も振らず、必死に与えられた業務をこなして半年、また1件仕事を振られました。
87歳、女性、独居
当時は介護サービスカテゴリに「安否確認」というものがありました。
毎朝30分でポータブルトイレの洗浄、トイレ掃除を実施しつつ安否確認をするという内容です。
こちらも困難事例との申し送りでしたが、それまでの困難事例は、入浴拒否や身体状態が重いといったもので、初回は「どこが困難事例なんだろう?」という印象でした。
真相は同行訪問が終わり、一人で訪問するようになってから明らかになりました。
いわゆる「偏屈」
毎日のサービスなので、数人の介護員で仕事を回していましたが
偏屈ゆえのクレーム(大半が言いがかり)「あの人の所には入りたくない」という介護員が続出の中、そこまで他者を拒絶する彼女への興味が芽生えました。
そして元来、負けず嫌いだったので、その方に、「自分を認めてもらいたい」という気持ちになっていきました。
いつものように身構え、訪問すると体調が悪そうな様子。
「自分はこんなに具合が悪いんだ!」といつも不調は訴えていましたが、覇気がないというか…事業所には報告しましたが、本人は「病院になぞ絶対、行かない」と頑固です。
私には日に日に状態が悪くなっていくように見え、ただ単純に心配しました。
「大丈夫ですか?」
古傷が痛むというので、もういいというまで背中を擦りました。
突然、ご自身の苦労だらけの半生を語り始めました。
正直、返す言葉が見つかりません。
背中を擦りながら、黙って聞いていることしかできませんでした。
その数日後、いつも「自分は毎日、四時には起きている!」と豪語していた彼女がパジャマのままベットに横たわっていました。
「ああ、あんたかい」
らしからぬ弱々しい声に、急いで仕事を片付け、傍らに座りました。
「やっぱり、病院に行きましょう」
「行かないよ」
どこまでも頑固者。
「水が欲しい」
上半身を支え、水を差し上げました。
「…美味しい」
そして、時計を見ようとしますが
「…見えない…何時だい?」
「8時です」
もう既に仕事としては1時間オーバーですが、ほっとけません。
「今日は、何曜日だい?」
「土曜日です」
「ああ…あんた、子供たちが待ってるじゃないか早く帰りなさい」
「じゃあ、病院に行きましょう。心配で帰れません」
「帰れ!」
振り絞るような辛そうな声に、あまり興奮させるのはどうかと思い退出。
その間際「ありがとう…」と初めて言われました。
「明日もまた来ますから!」
事業所に状態を報告し、翌朝再び訪問。
独りで旅立った彼女を発見しました。
悲しく、やるせなく、何より「安否確認」という役割を果たしきれず、最悪の結果を回避出来なかった事への悔しさ
自分はどうするべきだったのか
自分の対応に間違いはなかったのか
この経験から、しようがない気持ちは「どうすれば良かったのか」の答え探しにとって代わり、この仕事に真剣に向き合うきっかけとなりました。
2級ヘルパー(介護職員初任者研修)から介護福祉士へ
1度の転職を経て、2級ヘルパーとして就労した期間は約5年。
当時も介護員不足は叫ばれていたので、退職後すぐに次の事業所に採用となった介護士2年目。
経験を増すごとに仕事上の様々な事に慣れ、慣れるごとに度胸もついてきて、仕事が楽しくなっていました。
「介護福祉士」という名称を頻繁に耳にするようになったのもその頃です。
試験の時には実務経験を満たす予定のいわゆる「見込み」で願書の提出をする人もいましたが、仕事が楽しく「しようがない」私は「へえ」としか感じず、休日には地域で開催される医療講演会に出かけ「介護」と名のつく書物を読み漁り、貪欲に知識を吸収していました。
それから2年程経つと、私にとって介護は天職だと思えるほどに心境が変化がありました。
同時に自分の介護員としての能力を確かめてみたくなり、介護福祉士受験を決めた時には経験5年目に差し掛かろうとしていました。
当時の試験は筆記試験と実技試験の二部構成、筆記試験に受かった受験者が実技試験を受ける資格を得られます。
結果はどちらも合格。
ろくに勉強も出来ませんでしたが、何度も参加した医療講演会や読み漁った書物、5年弱の経験が効を奏したと思っています
介護福祉士、そして管理者になりました
40代も後半に差し掛かり、私の介護職歴も14年目を迎えました。
すっかりベテランの扱いを受け、転職をしても、管理者、責任者に就任…となってしまいます。
現在も管理者として働いています。
書類作成や担当者会議、契約等々、その他に介護員兼務のため、充実はしていますが、目の回る忙しさです。
でもやっぱり、現場が一番好きなので書類作成に疲れると、現場に出てリフレッシュしています。
介護の職場はイジメ、人間関係もあるけども、ちゃんと仕事すれば大丈夫
転職時に下らないイジメにも合いましたが、動じず、仕事に没頭するうちに数ヶ月で止みました。
今は同僚にも恵まれ、人間関係は良好です。
そんな私が今、言えることは、経験と知識は自分を守り、人の命を救うということです。
あの時、悔しさを味わい、2度と同じ経験はしたくないという思いから、関わっている方全員をいつも観察し、状態把握しています。
そうしてると不思議と、どんな人でも良いところがあるということに気付き、好きになれるのです。
観察眼も養われ、異常にいち早く気付けるようになり、すぐに関係機関に繋ぎ、
「ちょっとでも対応が遅れたら、命がなかった」
ということを4ケース経験しました。
未経験者にメッセージ 当たり前だけど介護福祉士を目指そう!
介護福祉士という資格は就職に有利になり、給与にも反映します。
しかし、どんな資格もそうですが「持っているだけ」では効力も半減です。
間もなく、団塊の世代が要介護者となり押し寄せて介護時代のピークがやってきます。
今までの「我慢が美徳」の要介護者とは全く異なる対応が必要になるでしょう。
しかし、謙虚さと素直さを忘れず、知識を吸収し、介護福祉士として経験を積み重ね、無敵の介護員になれれば、なにも怖くはありません。
人間関係でつらい、イジメがある…、そういう側面ばかりがクローズアップされて、やられた人がネットに書き込んだりしていますが、介護士として、介護福祉士としての仕事を追求していけば大丈夫です。
最後に、最近、同僚に「介護はあなたの天職だね」と言われました。
はじめは大変でしたが、介護は私の天職、今ではそう思えるようになりました。