介護施設における虐待 いじめとは
介護施設の現役管理人が減らない弱者いじめ、施設における虐待についてお話しします。
子ども同士のいじめが社会問題化しており、悲しい事ですが福祉人として仕事をしている中でもこういった話は別問題ではありません。
介護を始めとする福祉業界全体の闇とも言われる、虐待について少しだけお話しましょう。
暴力行為に及ぶ介護員もいる
介護施設で働いていると、明るみに出ない事件も多数あったりします。
やはり人間が人間に施すサービスであることから、双方に感情があることは当然です。
この感情の消化方法が違った時に、高齢者への暴力に発展してしまうのです。
余程の悪人でなければ、介護の仕事を始める前から「いじめよう」と思って入職してくる人は皆無です。
介護施設においてたとえ高齢者相手となっても、介護職員も人間ですから腹も立ち、場合によってはケンカとなる事もあります。
施設の中に数人の職員がいますが、全てがオープンな介護を出来る事もありません。
むしろ介護はプライバシーにも通ずる部分が多く、個別介護が基本でもあります。
ですから「見えない瞬間」があり、何をしているかは分からないのも本当のところなのです。
介護たる性質が暴力行為を誘発してしまっているという考え方もあるようで、「見えない=何しても分からない」というのは変えようがありません。
これは信頼の一言しかありません。
入社の時に「あなたは高齢者に暴力を振るいませんか?」なんて質問も当然ありませんし、こういう事がない「前提」でしかないのです。
いじめ(虐待)とは暴力だけではない
高齢者及び弱者に対するいじめ、それは分別(ふんべつ)ある大人がする事で「虐待」となり、いじめなんてかわいいものではありません。
ある高齢者施設の事例を挙げてみましょう。
入所系施設で50名定員となっています。現在も運営されており、長い歴史がある施設です。
ここではその長い歴史から「言葉づかい」が日ごろから問題となっていました。
国が介護「保険事業」とした平成12年から、全国で施設の在り方が見直しされるようになってきた事がその理由でした。
税金を投入して「全国民が平等に介護を受けられるように」するためではありましたが、まずはその「質」も見直す必要があったのです。
入所している高齢者はこれまで以上に尊厳と人格を尊重され、危ないから車いすに縛りつけるなんて、言語道断!みたいな時代がやってきました。
その平成12年よりも前からある施設では、ある種「職員の方が上」という雰囲気が絶えません。
入所している本人もその家族も「お世話してもらっている」という姿勢が強く、施設側としてはやりやすかったのかもしれません。
しかし「介護の中身が見直し」を受ける最近では、その言葉かけ一つからやり直さなくてはなりません。
そのため日常的な会話の仕方から、入所高齢者の呼び方まで色々と変えなくてはなりませんでした。
介護においては「高齢者と介護職員の関係」は非常に重要で、それが普段の言葉づかいに繋がっていると言えるのもまた事実です。
かといってあだ名や「○○ちゃん」等、親しみを込めたとしても同年代の友人のような呼び方は禁句とされています。
現在ではこういったところにまで虐待と判断されかねない瞬間があり、実際に介護業界では問題になっているのです。
障害者と介護高齢者の違いが難しい
虐待についてニュースになる時、その多くは「弱者」であり対象となるのは子供や高齢者、そして障害者がほとんどです。
悲しい事ですが今もどこかで虐待を受けている弱者がいる事、これは否定出来ません。
そして福祉の世界においてしっかりと区分けされてい介護高齢者と障害者ですが、一般的な社会においてはこの両者が違う事をあまり把握されてはいないと言えます。
一概に「福祉の管轄」として見なされ、介護もしくは援助が必要な者としか理解がありません。
障害者においてはその障害の程度にもよるかもしれませんが、中には社会の第一線で働いている人もいます。
高齢者においては「昔現役だった」方がほとんどで、確かに介護を受ける事となっても敬わられなければならないはずです。
社会において健常者と呼ばれる我々の中には、この上記の両者を「普通に比べて手がかかる人」としか認識していない部分も確かにあるのです。
両者とも援助を受ける際は「介護」と呼ばれる事も間違いではなく、そう考えると若い年齢の障害者であっても手がかかるとしか判断されません。
この違いを社会に上手く伝えるのは非常に難しく、やはりひとまとめに「福祉」とされてしまいがちです。
虐待が行われている事実、加害側は分かっていてやっている?
大きな事件がニュースになる時、それは必ず犯人がいて「その犯人も人間」である事が多いのではないでしょうか。
心が痛むニュースばかりですが、少し前に有料老人ホームであろうことか入所高齢者を4階から突き落とすという事件がありました。
犯人は逮捕されいずれは自供した事で、事件の全容は見えてきました。同じ福祉人として非常に残念です。
これは理由が「高齢者が言う事を聞かなかったから」という内容で、同じ職員が夜勤をしている時に高所から転落させ、事故死であるかのように装ったものでした。
言い方を変えれば「入所におけるしつけ」のようなもので、行き過ぎた行為であったと表現出来てしまいます。
被害にあった高齢者が複数いたことから、「普通であればこんな事をしないだろう」という訳の変わらない理由から精神鑑定となりました。
虐待が行われる時、弱者と反対の立場にある者、今回で言えば介護職員は「言う事を聞かないからこうしてやる」と判断しています。
いわば「自分の支配下で何してるの?」という、一種の監視下にも似た錯覚が生まれます。結果テリトリーで勝手な事をした罰のような対応です。
この時介護職員の言う「言う事」とは、何だったのでしょうか?そこまでする必要がある何かだったのか、非常に気になります。
もしかすると「気に食わない」といった、身勝手な理由で犯行に及んだとすればそれは万死に値すると言えます。
介護では人間と人間の欲求がぶつかる瞬間があり、この時優位となるのは絶対的に介護職員の立場であると言えます。
施設においてどんなに職員が平身低頭に接したとしても、有事の際に弱者となるのは高齢者である事は絶対に変わりません。
施設の在り方が問題と言うよりは、「施設がある事自体が問題」なのではないかと言われたりもします。
となると社会が作り出したこの「施設」と呼ばれる建物は、社会の問題を一手に受けているとも言えます。
虐待が起こるたびに、社会のシステム自体が問題ではないか?と考えてしまいます。
介護施設、老人ホームは万能ではありません わからないようにして虐待は起きている
これは虐待うんぬんの問題だけではなく、法律に縛られている事であったり様々な理由からです。
まして仏のような人間が介護をしているなんて思ってはいけません。
介護はサービス業だから虐待はなくて当たり前、笑顔で接して暴力なんてありえないでしょ。そんなイメージすらありませんか?
介護している人間も「人間である」ことには変わりなく、そして虐待を含めた行為をしている人間は許される事ではありません。
人間は自制出来る動物であると同時に、「動物である事」にも変わりないのです。
では何故虐待する人間とそれを自制出来る人間がいてしまうのか、それは「人前で見られているか否か」に尽きると思います。
人間は他人の目を非常に気にするところがあり、逆にこの事が自制の糧となっている場面も多くあります。
介護は非常にグレーゾーンとなる瞬間が多く、そして密室で行わる事が数多くあります。
この事が人間を動物化させてしまい、ゆくは虐待なんて恐ろしい結果に繋がっている側面は否定出来ないでしょう。
何よりも「介護職員も人間である」事があまり認識されていないと思います。
介護職員にも感情があり、その感情が爆発した時その周囲にいる人間は被害者となる、それだけの事なのかもしれません。
ただこの時周囲にいた人間が弱者であり、その弱者は抵抗出来ない事からエスカレートしていったりもします。
この時加害側の人間は「その事」を認識しており、言ってしまえば故意である事は明白なのです。
福祉が全ての問題を解決出来るなんて、そんなのは空想の世界でしかありません。
しかしその社会が福祉にばかり問題を押し付け、そしてそこに闇が生まれる事で人間の悪とされる部分が出てきてしまう瞬間があります。
それが虐待に繋がっているとも言えます。
虐待してしまったことを他人のせいとするつもりはありませんが、福祉施設においてもそのリスクは紙一重と言えるでしょう。
それはやはり「介護職員も人間だから」なのです。
次ページでは実際に起こった虐待の事例を3つご紹介します。
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