虐待の事例 介護業界人が語る!故意ではないグレーゾーンの虐待
あまり語られる事のない介護施設における虐待の事例ですが、ニュース等で大事件になった時のみ報道され、クローズアップされます。
表面化しないだけで実はもっと多く実例があると思います。
今回は、故意ではないグレーゾーンの虐待の虐待についてのお話です。
もし、もっと厳しい虐待実例のお話が見たい場合は、介護現場であった虐待事例をご覧ください。暴力、暴行、意図的な誤薬、等、凄まじい内容の虐待事例について書いています。
では、今回は、筆者が知っている虐待の実例、故意ではないグレーゾーンの虐待事例を少しお話しましょう。
虐待の事例①「長時間入浴の虐待」
お風呂で虐待なんて、聞いただけで危ない気もしますよね。
特に水回りでは高齢者が関わるだけで、命の危険すら感じます。
入浴介護をしている時、虐待とは難しい判断かもしれませんがその中身についてお話します。
お風呂に入る時、その湯船の温度は結構こだわりがありませんか?実際筆者も熱い風呂が好きですが。
高齢者においても、介護を必要となったからといって好みや嗜好が変わる事はありません。
お風呂のスタイルは結構個人差があるもので、中には行水みたいな早いお風呂という方も少なくありません。
介護施設ではいわゆる「真面目なお風呂」が慣行され、キレイに洗い長くお湯に浸かるという隠れルールみたいなものがあります。
これは血行改善を含めた新陳代謝促進などの理由から、回数の少ないお風呂に長く入ってもらおうという目的です。
しかしこれも本人が望まないのであれば虐待になってしまうのです。
あるおじいちゃんがいました。昔ながらの早寝早起き早風呂と、なんでも動作がキビキビと時間をかけない生活スタイルの方でした。
戦時中に生きてきたという事もあり、色々な行動は時間をかけずにと教育されてきたそうです。
介護を必要としない施設入所前は自宅で生活していたので、当然こういった生活スタイルだったそうです。
図らずも施設に入所してからは生活スタイルが激変します。
その事からか少し怒りっぽくなってしまい、介護職員の間でも「変なじいさん」というレッテルが貼られていました。
当然職員からは嫌われている傾向にあり、「入浴介助するのも敬遠され気味」でした。
ある時若い職員がこのおじいちゃんに、「風呂は少ししか入らないからすぐにあげてくれ」と言われました。
これはこの方のライフスタイルであり、譲れないものでもありました。
しかし職員は「お風呂は長く浸かるもの」と認識が強く、結果として「望まない入浴を長時間強要した」のでした。
ふたを開けてみると他の職員も同じような対応であった事に加え、「この人は風呂が短いのが好き」というのも認識されていました。
おじいちゃんが家族に不満を漏らし、それがクレームとなって跳ね返ってきたものです。
家族は虐待ではないか?とまで言っていました。
確かにこの場面では「知っていたのにやらなかった(対応しなかった)」というのは、正しい対応ではなかったと思います。
受け手側からすれば虐待と感じたのであれば、それはもう「虐待として成立してしまう」可能性すらあります。
職員としても正直「困っている姿をあざ笑っている」ような場面がありましたから、これは虐待と言えます。
中にはぬるいお風呂が好きなのに、わざと熱湯(やけどしない程度)で入浴させたりと、結局避けられるのに「わざと嫌がる事」をして虐待となるケースもあります。
虐待の事例②「夜勤時の塩対応」
夜に喉が渇いて、炭酸飲料をこっそり冷蔵庫に飲みに行くなんてしたことはありませんか?
老人ホーム等の入所施設では認知症の対象者もたくさんおり、夜中に起きてきて水をくれなんて事も日常茶飯事です。
夜勤の時、いつものように昼と夜が分からなくなって高齢者が出てくる事がよくあります。
昼夜分からなくなっても、寝起きである事から水分を欲しがる高齢者はいらっしゃいます。
夜勤をしている職員からすれば、「こんな時間に水を飲むなんて何事?」と考えるのか、この要求をあろうことか拒否するのです。
これも立派な虐待です。
準備があるか無いかは別にして、「水分を求められたら差し上げる」というのが普通で、特に高齢者において水分補給は重要な事でもあります。
そんなことを知ってか知らずか(介護経験者なら知っていて当然!)、準備がメンドクサイのか「今はお茶の時間ではありませんよ」と断ります。
業務の都合でしかない、介護職員側の都合によって水分すら摂らせてもらえない、そんな虐待はこれまた日常茶飯事なのです。
虐待の事例③「要求そのものを全て拒否」
あそこに行ってみたい、トイレに行きたい、お茶を飲みたい、これらの要求全てを仕事の都合で拒否する事は多々あります。
集団生活ですから仕方ない部分もあるのですが、特にトイレに行きたいと訴える高齢者に対して「オムツしているでしょ」と訳の分からない回答もあります。
こういった介護をしている職員は、「何のためにいるのか」を全く理解していないのかもしれません。
介護職員とは生活に寄り添い、足りない部分を援助する役割を担っています。
ですがこの時高齢者にとって「生活」とは何かを分かっていないのです。
どこかに行きたいと思うのも、お茶を飲みたいと思うのだって生活の一部であり、「決まった時間」に発生するとは限りません。
施設ではよく「今は○○をする時間だから」と決まっています。
これは集団生活ではいたしかたない事であり、これがあって回っているとも言えます。
しかし、あまりにもこの「予定」に固執してしまい、主役であるはずの高齢者が後回しになってしまっている施設はたくさんあります。
正当な理由なく意図する事を拒否し、本人の望むことが出来る範囲で叶えてあげられないなんて、それこそ虐待なのです。
ここで言う正当な理由とは、「仕事が忙しいから」ではありません。
優先されるべきは高齢者であって、施設の仕事ではないのです。
暴力事件しか虐待と思われない事実
社会において「虐待」の認識が非常に薄いとも言える時代です。
これだけ情報化社会と言われる世の中になりましたが、虐待という行為そのものが何か?が分かっていない実情もあります。
施設入所している高齢者は、介護を受けているから、人の世話になっているから、そのぐらいは、と思われているところがあります。
でもこの方達、高齢者はお金を払い「非があるなんて事は無く」暴力や虐待を受ける言われはありません。
そして必ずおおごとになった事件しか世間の目は向けられず、弱者であることをむざむざと教えられるような気がします。
実際はおおごとになる前の段階(予備群)で発覚し、大きな事件化する前に防ぐ必要があるのです。
そしてその「前の段階」とは暴力だけではなく、日常的に見えてくる会話とやり取りにサインがあったりするのです。
施設において「この話し方、対応は当たり前」と思っていると思わぬ落とし穴があったりするものです。
社会の問題はいつも「社会問題化してから」対応する。虐待の問題もそう
虐待という言葉にだけスポットを当てるのであれば、昔からあったと言えるでしょう。
表に出ていないだけなのです。
アメリカでは介護に三倍の人員がいる そうなれば虐待もおきにくい
話しは飛躍しますが、アメリカにおいては介護職員も利用者一人に対して三倍の人員がいると言われています。
アメリカでは「介護職員ですらサマーバケーション(夏季長期休暇)」を取れるそうです。
こういう事から、アメリカでの高齢者への虐待は少ないと言います。
これは「人の目が多い」事も理由となっています。
悲しい事ですが、人間は他人の目で自分を戒める動物なのです。
そして悪人となるリスクは常に紙一重でもあります。オーバーな話ではありません。
脅すようですが、何も危ない凶器を持たなくても他人を傷つける事は出来ます。そしてその要因となるのは、何も凶器ではなくて人間の心なのです。
少し宗教的かもしれませんが、人間の心には悪が住み着いていてそれをセーブしているだけの事なのです。
そう考えるとやはり虐待や暴力は全ての人においてリスクがあり、紙一重であると言えるでしょう。
そしてその人間が今日もどこかで困っていて、どこかで誰かを助けているのです。
非常に危なっかしい社会だと思いませんか?
その証拠に必ずどこかで残忍な事件が今日も起こっています。
表に出ないだけで、目に触れないだけの事で、社会の隅っこで起こった事件はそのままに今日も社会は回っています。
口にしたくない出来事かもしれませんが、今以上にこういった被害を被る弱者を作らないためにも、もっと日の目を見なくてはいけません。