介護の面接官が語る!介護に向かない人、向いてる人
介護に向かない人とは?
高齢者の増加と共に、介護従事者の不足は深刻化しており、日本の将来病とも言われます。
介護士は離職する人が多いです。
介護の仕事をやってみようと思っても「自分に出来るのか?あっているのか?」と足踏みする人が多いです。
介護の仕事に対する「向き、不向き」について解説します。
介護の仕事を理解するところから考えてみる
介護の仕事を想像してみましょう。
その多くのイメージは「オムツ交換や食事のお世話」等、正直なところ、辛い仕事が思い浮かぶのではないでしょうか?
向き不向きというのは別にして、やはりその「過酷さ」が念頭に浮かぶ事は少なくありません。
では過酷な仕事として考えた場合、大変だから続かないなんて思う方もいらっしゃいます。
しかし、これを読むあなたは既に「介護に興味」を持っているのではありませんか?
「過酷」を理由に諦めるのではなく、世の中にある仕事の大半は過酷で辛い仕事なのです。
向き不向きの前に、辛いから諦めるのではなく「興味を持ったその瞬間」からあなたは「向いている」のかもしれません。
仕事としての介護
世の中にはなにも介護の仕事を選ばなくても、他にも色々な仕事が沢山あるはずです。
でも何かのきっかけでこの仕事に興味を持ったのであるなら、まず第一関門は突破していると言っても良いでしょう。
本来、介護というのは仕事としては成立しないものなのです。
何故なら「介護は身内(家族)」がするもの、という感じがしませんか?
もし日本が介護に対してあまり積極的でなかったり、社会問題にならなかったとしたら、これほど世の中に介護という仕事は浸透しなかったかもしれません。
今でこそ介護が仕事として認められ、そして求められています。
これを生業としてやっていこう!と考える今だからこそ「向いていない」という人は、正直経験者として筆者が思うには「いない」と考えています。
そんな観点から読んでみて下さい。
介護の仕事をはじめたとしても、出来るかどうかが心配
介護の仕事には必ずと言っていいほど、現代では「資格の取得」が求められます。
一定の要件と「実習」を通して介護の仕事に就くと言う方が多いはずです。
これは国の方針でもあり、介護の質を下げないために必要とされています。
ですがこの「実習」と言う方法、メリットとデメリットを持つ相反したものです。
メリットから見れば「事前に現場を見る事が出来て、気持ちの準備が出来る」と言えます。
介護実習のデメリット
ではデメリットとはなんでしょうか。
それは「実習の現場が、あまりにも自分の思っているものとかけ離れすぎていて実際の仕事に就く前に断念する方が出る」という事です。
これは実際既に起こっています。
介護の現場にいる介護員は「スキルや技術が高い方が実習生を受け持つ」という事が殆どです。
そのため、未経験者が実習等に行くと「その技術の高さ」に圧倒されたという感想を書かれる方が多くいらっしゃいます。
施設(現場)側としてもある程度のプライドがあるでしょうから当然です。
しかしそれを自分に置き換えて「あんなに上手には出来ない」と考える必要はないでしょう。
出来ないから実習に行き学ぶ訳です。
もし「自分にはうまく出来ないから」と、やる前から不安に駆られ諦めるような方がいたなら少し待ってください。
介護のプロが魅せる「実習」ですから、最初は出来なくて当たり前ですし、それは他の仕事でも同じことです。
何も「介護が特別」ではありません。出来るか否かを基準に「向いていない」とするのはまだ早すぎます。
そういう筆者も、今思えば「恥ずかしい介護」を実践してきて気が付けば出来るようになっていたような気もします。
「向かない人」の典型事例:四角四面
前述の通り介護には資格があります。
この資格は座学が必須であり、しかも比較的「きれいな介護」が実践され記述されています。
これを学び、そして現場へ赴く訳ですが、介護を新しく始めた人によくありがちなのが「教科書通りの介護を頑張ろうとする人」です。
言い換えるならば「真面目な人、曲がった事が嫌いな人」なのかもしれません。
決して悪いことではないのですが、、、。
介護を受ける側について考えてみましょう。そう、要介護者となる対象者(高齢者等)です。
その対象者は決して真面目だったとか、曲がったことが嫌いな人「ではない」かもしれません。
十人十色ですからね。
まして資格研修である「介護手法の教科書の中身」なんて知らないのです。
その人が「やってもらいたい、やりやすい」方法がそれぞれあります。
一方、介護する側は介護を机上で考えた人が書いた参考書を読んで勉強します。
介護される人とする人が持っている「介護」のイメージが違う訳です。
例えやる気に燃えていて、頑張っていたとしても「介護される側に受け入れられないやり方」を実践していてはいずれ早い段階で向かないと考えるのかもしれません。
これは介護研修自体にも問題があるのですが、「手法をマニュアルと間違えて捉えている」方は介護には向かない可能性があります。
「四角四面」を変えるつもりがあれば「向く人」へ
どんな物事もそうかと思いますが、相手が変わる(従わせる)よりも自分が変わる事が一番かもしれません。
こういう考えたをすると「臨機応変」とか「順応性」という言葉になってくるでしょう。
介護とは「対象者のそれまでの人生を否定すること」は絶対NGと言われています。
どんな参考書にもそう書いてあります。
参考書も決して間違いではありません。
ですがその参考書にある記述は「ほんの一例」でしかありません。
その事を認識する必要があり、それを活かし「適切に対応、柔軟に反応」出来る事で向き不向きは変化します。
物事を全て「優しさ云々」に捉えたら、介護は続かない!?
介護をする人はどちらかと言うと「優しい人」というイメージはありませんか?自分は優しくないから介護には向かない、というフレーズもよく耳にしてきました。
なんというか、介護に「優しさ」が必要という訳ではないのです。
一瞬「えっ!」と思う方もいるかもしれません。
でも、実際のところ「優しさ」で動いている介護者は少ないと思います。
介護する相手は「人」です。その人は自分とは違い、またどこまでいっても同じにはなれません。
考え方や生き方然りです。
生きてきた時代すら違い、場合によってはそれまで受けてきた教育すら違う年齢の方も多いでしょう。
介護をしていく中で、「お互いが人であるから故」腹の立つ瞬間も沢山あります。
筆者も実際沢山ありましたし、二度と顔すら見たくない相手もいました。
介護の仕事では我慢する事を強いられる瞬間が非常に多く、他のサービス業よりも辛い瞬間も出てきます。
そんな時「相手の言うことを聞いて」仕事をする、怒ってはならないという風習のようなものがあります。
でも筆者が経験してきて思うところ、腹が立つ事すら抑え込んでしまっては介護は続かないと考えます。
相手が人間だから「そんな瞬間」も生まれるのですが、それを受ける自分もまた人間です。
優しさだけでその腹が立たなくなるかというと、実は違います。違うんです。
この事を勘違いして「自分は優しくないから向かない」と考える方が少なくありません。
可能性を潰す残念な瞬間です。
優しさ≒腹を立てない
この話をすると「そんな難しい事理解できない」と言われることが多いのですが、ゆっくり考えてみましょう。
技術面に関しては「時間と経験が成すもの」と書いてきました。実際そうです。
では心の部分、感情や考え方の部分はどうでしょうか。
介護は「笑っていられる瞬間」はハッキリ言って多くありません。
腹が立ったり辛かったりの瞬間の方が多くなります。
では介護対象者との間に起こる「腹の立つ事」はどうしたらいいのでしょうか。
それは、腹が立つことにはしっかりと「感情」として受け入れる、自分の感情を握りつぶす抑え込むというような事は絶対にあってはならないということです。
そこで必要とされることは「その感情をどう表現するか」が重要になるのです。優しいから腹が立たないなんて事はあり得ません。
じゃあ腹が立ったらどうするの?
今この瞬間もどこかで介護をしている人はいます。その人もれっきとした人間ですし、感情を持っていない事は無いでしょう。
介護の色々な場面に遭遇し、腹が立つことだってあります。
では向き不向きで考えるなら違いは何か?と考えてみます。
答えは先に書いた「感情の表現」なのです。
昨今、残念な事に介護現場における対象者(高齢者)への暴力事件が後を絶ちません。
これは「現場で腹が立つことがある」というのを証明しています。
さらに残念な事に、こういった方法で感情の表現をしてしまう人は「介護には向かない」とハッキリ言えます。
ですが「口論」となればどうでしょうか。しっかりと大人の口論ならば。
介護の現場で腹が立つ、言ってしまえば「対象者への怒り」もあるでしょうし、絶対に沢山出てきます。
自分の技術不足など落ち度に関して言われ腹が立つ場合、それは単に未熟であったと結論付けられます。
もし理不尽な理由で介護する側が何か言われる場合、それは腹が立つことも普通と言えます。
相手が人間であるならば、対象者が弱者であっても「口論」は必要なのです。
もし、これをダメとするなら正直「時代遅れな介護」かもしれません。
介護を受ける対象者は「弱者」の立場にある場合が殆どで、社会的に見ても比較的弱い立場と言えるでしょう。
そうあるから介護を必要としているとも言えます。
でも、弱者も「人間である事」に変わりはなく「平等に捉えられること」が介護には求められます。
平等とするならば、腹の立つことはしっかりと怒って「口論」となってもいいのです。
対象者が認知症等で自己判断が難しい場合はまた違ってきます。
でも、自分より人生の先輩である対象者は原則としてそんな「社会性の無いような言い方」はしないでしょう。
嫌な事をイヤと言うのではなく、明らかに「違う」事を言われ、それに対して腹が立つのであれば自分の感情を伝える、そんな介護が今後は求められます。
そうすることで、実は対象者を「人として」認識し、自分の対象者への姿勢も変化していくものなのです。
弱者として扱わない姿勢が、実は介護に向く人であり「優しいから怒らない」ではないのです。
受容する姿勢とキャパ(容量)が育ってくると、それが「優しい」と映るのです。
対応における「言い方」は仕方なく、人生観や遍歴に敵うものはありません。年相応に違ってきます。
これは訓練と経験しかありません。
でも、年相応という考え方かたすると若いなら若いなりに腹の立つことも多くなるでしょうし、年を重ねれば「怒るべきか否か」の判断も付いてきます。
決して勘違いしてはならないのは、
「介護をする人は仏のような人」ではないという事です。
「向きや不向き」で介護に挑戦する事すら諦めるのではなく、介護という仕事を通して「自分の糧」を増やせるそういう考え方で挑戦してほしいものです。
自分を変えていけるのであれば「介護に向かない人」は存在しません。
介護を通して「自分を変えたい」でも構いません。
介護を通して「仏のように映る」方もいるかもしれません。
その一歩を踏み出すきっかけになって読んでもらえると幸いです。
介護離職者が絶えない中、介護をしてみて良かったと思う方も絶えずいらっしゃいます。
介護の仕事をはじめてみて、損は無いと思います。
面接は、事前準備で合否の8割が決まります。
面接を担当していて重視していたのは、人柄とやる気です。
しかし、限られた時間で自分のやる気をどうアピールしたらよいかわからないですよね。
面接でよくある残念なパターン
● 声が小さく聞き取りづらい。聞き返してもまた小声に戻ってしまう
● 緊張で笑顔がない
● どの質問にも曖昧な答えしか返ってこない
● 質問に一方的に話し続けて時間をオーバーする
実際に、資格と経験をもった方と無資格未経験の方が面接に来られたことがあります。
2人の面接を終え、採用したのは未経験者の方でした。
合否を分けたのは、やる気とコミュニケーションの力です。
緊張はしていたものの、やる気をしっかりとアピールしていました。
彼女は今では、現場のサブリーダーにまで昇格し活躍しています。