介護のお仕事!食事介助と入浴介助の方法を経験者が語るよ
介護職への挑戦!介護人として生きていく~介護実践編~
会話が出来るようになりやっと介護を出来そうな予感。
入り口に立った新人はついに介護を実践しました。
ですがテキストの内容は嘘ばかり!?と思えるほど、現実は厳しいものでした。そんな奮闘を少し描いてみました。
介護の中でも重要なお仕事!食事介助の方法を経験者が語ります。
食事介助は食べさせる事と食べる事
介護をしていく中で、さらには特養のように比較的寝たきりで介護度の高い入所者への食事介助は日常的です。
寝たきりとは言っても意思疎通のある方、認知症で中々困難な方と様々ではあります。「寝たきり=食事も出来ない」ではありません。
意志疎通のある入所者への介助としては、その介護量として「セッティングのみ」でだいたい食事は可能です。
「上げ膳据え膳でありがとうなぁ」なんてよく言われます。
食事介助は食べさせる事と食べる事
ですが、認知症等における意思疎通の困難な入所者への介助は容易ではありません。
認知症の程度にもよりますが、人間本来の生き物としての本能に「食事」があります。
食べる事は必要であるため、それを認識すると食事はしてもらえます。
ですが、認知症の重度化により食べる事を認識出来ない場合、それは「食べさせる行為」に発展します。
一般的な食事介助になるでしょう。
これ、介護員は当たり前にやってはいますが、実は要介護者との微妙な連携で成り立っています。
食事を口の中に運ぶまでを食事介助とすると、それは体内に吸収(飲み込む事を)するのは要介護者なんです。
当たり前のように聞こえますが、介護員は「胃の中に押し込む事」は出来ないのです。口の中に入ったものを飲み込むのは「本人の意志や本能」が受け入れて成立します。
口に運ぶ(食べさせる)⇒飲み込む(食べる)⇒口に運ぶ・・・を繰り返して食事介助は成り立っています。
もし飲み込む事をしない、つまり食べない場合には何かしらの理由があるのです。これは一朝一夕では見抜く事は出来ません。
「食べないから食べない、食事介助は難しい」ではないのです。
認知症であれ意志はあり疎通が出来ないだけなのです。スプーンですくって口に運ぶなんて、慣れた介護員にしてみれば単純かもしれません。
でも、それは微妙な連携がなせるものであるという事を忘れないようにしましょう。
介護のお仕事 入浴介助
お風呂の好みって実は深い
お決まりと言っては何ですが、集団入浴や公衆浴場のような雰囲気になってしまう特養のお風呂についてです。
筆者の師匠曰く「芋洗いのように手際よくいけよ」なんて、生活相談員とは思えぬ発言も聞いた事があります。(汗)
普通の生活のように夜にお風呂に入り、なんて事は特養ではまずありえません。
職員が多く配置される昼間に決まった曜日で入浴となります。
全国の施設で平均とされるのが、概ね週2~3回といったところでしょう。
そんな入浴介助ですが「介護員としての仕事」だけでは成り立たない側面があります。
それは嗜好を尊重しなくてはならないという事です。
お湯の温度にはじまり、洗う部位はどこからか?というところまで様々です。
男性であれば、髭剃りのタイミングまで違ったりします。
介護のお仕事 入浴介助はもっと深い
そんな嗜好がある入浴ですが、ある時男性入所者を入浴介助している時に言われた事があります。
その方は頭⇒体⇒足⇒髭剃りなんて、至って普通の順番で依頼されました。数回介助するようになって、いつも通り介助していました。
突然「洗う順番が違うんだようなぁ」と言うのです。「!?」、今更何を言うのかとびっくりしました。
「昔は競馬とかしてて、ゲン担ぎもあって足は左足から洗うんだよなあ。今は右足からしか洗ってもらえないけどよ」と。
足の洗う順番なんて、概ね日本人は右利きだから右からでいいか、と思ってました。これが嗜好やこだわりなんです。
結果としてその事を悲しんだりもしてはいませんでしたが、入浴介助のマニュアルには無い事例でした。
お風呂に入った時自分の動作を一つずつ見ていくと、意外な自分のルーティンがあったりします。
お風呂って深い深いこだわりがあるんです。
介護のお仕事をはじめて~実際に介助してみて見えてくる事
介助していると、ふと「要望に沿った介護を提供できているのか?」という疑問が生まれたりします。
煩雑な介護の日常を送る中では、そんな重箱の隅をつつくような問題は気にならないのかもしれません。
杖を右側に突いているから左側から歩行補助をするというような、至ってマニュアル的介護が実践されています。
ですが「歩く」事に対する介助は、マニュアルの「歩行介助」に従えば基本的に間違いではありません。
介護福祉士の試験だって通るでしょう。
しかし、歩く歩幅については記載されていません。
「要介護者に合わせて歩きます」しか書いてありません。
その動作一つ取っても、当然個人差は出てきます。
そんな「個人差まで熟知しようとして介助する」事が介護ではないのかと思います。
介護というと非常に形式的です。
更に突っ込んで介助となると、基本に則り限りなくファジーな対応が必要になります。
これは実践した者にしか分かり得ない事であり、驚きも発見もあります。多様化しているから、それを一つずつこなす。
そんなところも介護の魅力であると感じます。