施設長が語る!特養を希望退所した人の事例
施設長が介護の仕事で大切な事を語る!前に進むだけが介護ではない
介護とはざっくり言うと「人生の最期に向かう瞬間を共に過ごす」、そんな表現も出来ます。
しかも「老い」とは止まる事は無く、自然にそして必然的に進んでいくものです。
では介護はどうでしょうか。老いと介護を少し照らし合わせてみましょう。
望まない介護とは?
介護とは「生活するうえで不足している機能を補う」事であり、それに過不足あってはならないというのが大原則です。
介護という言葉には「甘えとか厳しいとかは含まれない」という事です。
逆に言えば「不足とみなされる場合は本人が望むか否かは関係ない」訳で、皆に平等に一律介護をするという隠された?目的もあります。
でも「介護」という単語にはそういった優しさなどのファジーな部分が含まれている、そんな気がします。
介護する相手が人間ですから。
その相手、つまり対象となる高齢者が「介護を望まない」としたら?実際現場ではこういう話もあります。
高齢者だけに限らず、今まで生活を自分でやってきたのに人に介入されるのは、ハッキリ言ってイヤというのが普通です。
明らかに外から見て「介護が必要」と判断されても、ある種拒否にも似た介護を望まないケースがあったりします。
医療的な面や、生活が成立しているかどうかを見て介護の必要性が判断される訳ですから、「最終的に本人の意見が通っているか?」は疑問も残ります。
場合によっては過剰に手助けを必要と訴えるケースもありますし、「介護」の見地からすればそれも妥当なのかもしれません。ファジーですから。
生活に介入される事に嫌悪感を感じ、または「自分で頑張りたい(恥と感じている?)」から介護を望まないケースは多くみられます。
介護出来る環境が整って、サービスを提供しようとしても「それを受け入れる側の気持ち」が置き去りになっては成立しないのが介護という仕事です。
やはり「そういった部分」まで察知して、本当に本人が望む介護のみ提供する事が望まれます。
オムツ交換されたいと思う人はいない
普通に考えてオムツ交換なんてされたいと思うのは、あまり一般的ではありませんし筆者も簡単には受け入れられません。
高齢者も同じなんです。
「終末に向かうだけの介護」が介護ではない
老いが止められるものでもなく、自然な流れである事から「介護はそれに寄り添う」と考える方は少なくありません。
実際にそうですから、間違いではありませんし否定する理由もありません。
しかし介護とはそれだけではないのです。
筆者が老人ホームに介護員として勤めていた時にあった話をしましょう。
93歳男性の入所者でした。
特別養護老人ホームですから、原則的に「死ぬまで入所」という流れがあります。
当時少し認知症?があって、車いす生活が基本でした。でも昔ながらの頑固なじいちゃんというイメージが強かったです。
気に食わない事は怒る、そんな感じです。
普通の「老い」であれば段々と衰弱していき、それに合わせて介護のやり方も変動していき最後は亡くなるという流れでした。
ですがこの方、最後は自宅に居たいという理由からそれを貫き通し、「特養を退所」していったのです。
一般的に特養を退所するというのは、「亡くなるか転院(近い家族が遠方へ行くため)」という理由に尽きます。
それらの理由を覆したような状況でした。
本来介護は「亡くなるまで」を看るのが仕事であり、至極当然の話でもあります、介護を受ける事になったら「亡くなるまで受ける」というのが普通です。
ですか、この時の介護は「自宅に帰るための踏み台」でしかなかった訳で、終末を迎えるための介護ではありませんでした。
国が介護を受けさせる理由みたいなものに、「いずれは自立するために介護受けさせる」というのがあります。
本当は「いずれ自立して生活してもらう」という大原則があるのですが、高齢者に対して[自立して生活]を求めるのは少しばかり難しい気もします。
介護を受けることにおいて「前に進む」とは?
これも筆者のいる施設では大きなテーマとなっています。と言うのも、介護を受けるにあたり「前に進む」とは何を言うのでしょうか?
手助けを貰いながらリハビリ等を通して機能的に改善する事?または、老衰に伴って死に向かう事?よく分からないままでいます。
人間の摂理からすると前に進むというのは「自然な老化」なのでしょう。
でも介護において「それ」は通用しないような側面が少しあります。
介護はあくまでも「利用しながら機能維持改善を図る」事が目的であり、「死ぬための準備」ではないという位置付けになっているからです。
少し苦しいですね。
介護の仕事をしている人は、その狭間でうまく「介護の効果」を見つけ出しているのも事実です。
高齢者において「機能の改善」なんてハッキリ言って期待は薄いでしょうし、期待すること自体失礼なのかもしれません。
そんなの人間を分かっていないと言っても過言ではありませんから。
こんな状況の中、ポジティブにその人の機能改善を見つけ限定的ではありますが共に時間を共有する、そんな仕事が介護です。
対象者をつぶさに見ていく、そして「前向きに」介護のメリットを見つけ出す、これが一番重要な仕事でもあります。
機能的には改善していなくても、介護を受ける事によって「前に進んだこと」を発見する仕事です。
国の規律の上で仕事をする以上、やはり一定の縛りや条件はありますし、どんな仕事も「自由」ではありません。
特に介護においては「そういった取り決め」による煩わしさが多く、現場は困惑しているというのも事実ではあります。
ですが、他の仕事に置き換えてみると「その網をかいくぐっていかに現場を回すか」は変わりません。
介護の現場には人間(高齢者)がいます。
ますます決まり事を乗り越えて、実際の現場が最優先されなくてはなりません。
介護に対する大原則はありますが、それを「受ける側」の気持ちや感情をくみ取って「それぞれの介護の方向性」に柔軟に対応しなくてはなりません。
また、その「違い」が面白さでもあったりします。